可愛いさんちゃんとの別れ


昨日は冷たい空気は浄化される感じと書きましたが、
12時間もたたないうちに、
温かさは生きている証ということを思い知らされることになろうとは…。

今朝のFacebook投稿で書きましたが、
早朝、セキセイインコのメスが亡くなりました。

まだ、昨日の今頃は、ここに居たのです。
少し元気はありませんでしたが、ここにオスメスふたりでいたのです。

一昨日なんかは、絶賛イチャイチャしてたのです。

それが、今はもう、元の姿ではなく小さくなって帰ってきました。

なんて、命って儚いんでしょうか。

まだ手の中に温かさが残っているようです。
柔らかな羽根の感触も覚えています。

温かいということは、そこに命があったということですからね。

冷たい、冷たくなるというのは、そこに命はもうないということです。

昨日、私が好きだと書いた樹氷も、雪と氷で育っていきますが、それ自体に命は宿っていません。

シンシンと冷えていく中で、何もかもが無に向かう、死に向かうのですね。

温かいものは、氷の下でひっそりと息をひそめて、春を待つのです。

命とは、春夏秋冬のようにバイオリズムがあります。

そして、役割りを持って生まれてくるのです。

人だけでなくて、ペットである動物も、縁があるからこそめぐりあうのですから。

そして亡くなったメスには、命をかけて、私達にしてあげたいことがあったんですね。

それが何か、今はわからないけども、大きな大きな、大切なことだと思います。
それをしっかりと受け取ってあげないとな、と思います。

ゼファーと散歩に行ったら、いつも守ってくれている桜の木が教えてくれました。

気がきつくてカカア天下な子でしたが、すごい大きな使命を持ってまた戻ってきてくれるそうです。

セキセイインコじゃないみたい、どんな姿で還ってくるのかな。

氏神様にも寄って、あの子が我が家に来てくれたことのお礼を言ってきました。

出会わせてくれて、本当に本当にありがとうございます。

さんちゃん、ありがとう、ありがとう、

温かさをたくさん、たくさん、ありがとう。
幸せな時間をたくさん、たくさん、ありがとう。

小さな命ですが、本当に温かかったです。

手に残る温かさだけではなくて、心の中にしっかりと炎をともしていってくれました。

今日は、本当に温かな「命」にありがとう

写真は、激しいチュー


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