相手のことを思い込みで見ない


今日は思い込みで人を見るのをやめてみる、というお話です(*^_^*)

そうすることで、新しい人間関係だけでなく、今までの人間関係もすごく楽にスムーズになったりするんですよ。

やってるつもりでもできていない時、
自分も誰かから思い込みで判断されてるってことなんですよね。

自分でも自分のことを思い込みでキャラ設定していることは多々あります。

私って、
ピンクの服なんて絶対似合わないし、とか
ぶりっことかしたくてもできないし、とか
きちんと片付けてないと気持ち悪いし、とか

全部、私のことです。
嘘です、最後は理想にしたかった私です(≧∇≦)

子供の時の友達に会うのが嫌だったときがありました。

昔の自分のことを思い出したくなかった頃です。

なんか、誰に会っても「全然変わらないね〜!」と言われるのが嫌だったころです(;´∀`)

人は変わるんですよね。

外見も全く変わる人もいますが、内面は全然違う人にもなります。

それだけ、色んな経験をしてきているから、誰でも当たり前のことです。

にもかかわらず、変わってほしくないという思い込み「色眼鏡」で見てしまうと、今現在のその人のことを理解できません。

その最たる例が、親や、先生と呼んでいた人だと思うのです。

親なんだからこうあるべき、
先生なんだからこうあるべき、

そんな風に見てしまいがちです。

自分の中の理想の人格を求めても、
実際はみんな普通の人間なんですから、
喜怒哀楽もあるし、ブラックなところも持っています。

親と子だったり、先生と生徒という主従関係の間は見えなかったその人のことが、

ある程度大人になって、人対人として付き合えるようになれば、
あらたな一面にたくさん気づくことができます。

そんなキャラだったっけ!ということがあります。

親のことが許せない、恨んでいるという場合も、
その親の人間臭い部分を見ていない、
自分の理想を押し付けている、
親とはこうあるべきだという思い込みで見ているので、
そもそも親である前に1人の人間としてその人を理解できないんです。

子供に対してもそうです。
いつまでも、自分の保護下にはいません。

法律的には保護者であっても、親の所有物ではなくなって、ひとりの人間として人格を持つようになります。

夫のように、それが早い子では小学生や中学生で、親も子も、お互いをひとりの人間として接するようになります。

夫婦でも、結婚して長くなると、お互いに相手のキャラを決めつけていたりします。

そんな思い込みで相手を判断することをどうやったらやめることができるか、

それは本人に聞いてみる、ただそれだけなんですね。

「どうしたいの?」とか
「どう思う?」とか
「どうする?」とか

意外なところから、答えが返ってくる場合があります。

相手のことを理解できていると、想定内の答えの場合もありますが、
誰でも自分でも気づかないうちに、色んな進化をしているので、
本人も気づいていない変化はたくさんあるんです。

自分の中でも優先順位って、結構コロコロ変わっているはずです。

何がしたいのか、自分で自分のことをすべて理解できてる人なんていません。

少しづつ、変化に順応して、
その時その時に、自分がどうしたいのか、きちんと自分に聞いていると、
実は相手に対しても、それができるようになっていくんですよね。

相手のことを思い込みで見ないということは、
言い換えれば、変化を受け入れるってことでもあります。

いつでも、人は変わっていいんです。

自分にも相手にも、それを認めてあげると、
本当に何をしてもいいんだ〜という気持ちが生まれるので、
生きていくのが楽になったりしますよ。

今日は、変わっていくキャラにありがとぉ(*^_^*)


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