今年に入って始めた連続投稿チャレンジも、とうとう99日目まできました(≧∇≦)
今日は両親にありがとぉという事で書いてみたいと思います。
写真は、アルバム探してみましたが、見つからないので今日のお散歩のひとこま
心の勉強をしていくと、必ずぶち当たるのが、親との関係。
ここを乗り越えてこそ「自分の人生」が始まるのではないでしょうか。
親のことが大好き、超仲良し〜〜という人で、心のことを学んでる人は、そんなに会ったことがありません。
みな誰もが、親との関係に悩んで苦しんで、自分を責めて、どう生きていけばいいのかわからなくなって「心」について学び始めるような気がします。
私にとっての例外は夫ぐらいでした。
夫は、親との関係で悩んだ事がなく、好きも嫌いもなくて、何より自分が大好き、
初めから多分「自分の人生」だけを生きてきているみたいです。
そんな夫に出会えて、「親のための人生」を生きていた私も、ようやく「自分のための人生」を歩むことができているのだと思います(*´ω`*)
夫やその他の色んな人に助けられて、心の勉強をした結果、
私も今となっては、大嫌いだった父親のことを
そんな愛情の形の人なんだな、と優しい気持ちで見ることができるようになりました。
母親には、ひたすら感謝しかありませんが、
父親にも感謝の気持ちが持てるようになったのは、心の勉強をしたからだと思います。
心の勉強をするまでは、本当に毎日のように父親を憎んで怒っていました。
そして、
なんで私を産んだ(作った)んや!
体に流れてる血すら腹がたつ!
早く死にたい、こんな人生終わらせたい!
と、夫と出会うまで、いえ結婚してからもしばらくは思って生きていました。
「明日は目覚めませんように」と毎晩眠る、
朝起きると、あぁまだ生きていかないといけないんかと落ち込む、
そんな私を助けてくれたのは夫でした。
それでも、この人もいつかは私を置いて行く、
また父親の所有物に戻るだけの人生なんて早く終わりたい、そう思っていました。
父親に虐待されて育ったわけではありません。
傍目には、過保護なまでに可愛がられて育っていて、過干渉であっただけです。
父親の価値観をどこまでも押し付けられて、反抗することが父親の不幸につながるかと思うと、
反抗することに罪悪感を持っていた、それだけです。
私は、10歳ごろ物心つく頃に父親に言われた
「早くヨボヨボになってお前らに世話してもらいたいわぁ」と言う言葉を間に受けて、
「子供と言うのは、自分の老後の面倒をみてもらうために産み育てるもの」という、一昔前はそうであったであろう価値観に囚われてしまったのです。
当時、母親から与えてもらった本などから、
私は世界に出て行って波乱万丈に人生を楽しみたい!と言う夢を早くも持っていました。
小学校卒業だったか最初の文集で、私の夢は「通訳になって世界の人の架け橋になる」でしたが、
あっさり父親に却下されます。
「そんな夢とか希望は、テレビの中とか、物語の中のもんや!女の子は結婚して家庭に入って子供を育てることが一番幸せなんや」と。
それでも、私は自分の好きなことをして生きていきたいと反抗しましたが、何を言ってるんやと怒られて、「普通」になるように怒られ、説教されて、しまいには泣かれて…。
教師だった父親は、自分の言うことを聞かない娘に、教師友達も呼んできて
「親の言う事が一番正しいから、ちゃんと親の言うとおりにしなさい」と、何時間も説教されたことも。
その頃から、親の望む「親のための人生」しか生きれないのなら、早く終わって欲しいと思うようになりました。
仏教関連の本なども読んで「輪廻転成」のことを信じていましたし、今思えば、胎内記憶とかも前世記憶とかもあったのかもしれません。
今回は、失敗!早く終わって!と思っていました。
また失敗するのも嫌なので、もう生まれ変わりもしたくない、人生なんて、ただの修行やん!!って思っていました。
事実、父親の言う「家庭に入って子供を育ててる幸せな女性」のはずの母親は、事あるごとに私に父親の悪口、愚痴を言っていて、どう見ても幸せそうに見えなかったので、父親の言う事が信じられるわけもありません。
「あんたらがいなかったら離婚してる」と言う母親を説得して、離婚をすすめたころもありましたが、
「もうええねん」と家庭内別居のような明るさや笑顔などは、まるで見た事がない家庭でした。
今となって思うのは、それをどうにかしたい、助けたいと私も子供の時から一生懸命やったんですね。
反抗期っていうのは、自分の自立のための戦いでもあるのでしょうけども、
私にとっては、母親を父親から助けたい、守りたい、戦いでもあったのだと思います。
最近facebookで読む「胎内記憶」や、両親を選んで生まれてくるという話を読んでいても、
私も母親を助けたくて生まれてきたのだなぁと思います。
かといって、そんなワンマン独裁者の父親をパートナーとして選んだのも母親なのだということを
今は知っています。
そこで、母も魂の修行をしているのですから。
父親も、あの祖父母から考えると、かなり歪んだ愛され方で育ってきたでしょうから、同じような愛し方しか出来なくても、それが父にとっての普通であり「愛情」なのだなということも、今なら分かります。
以前にある人から
「理解できない形の愛情だからといって、無かったことにはしないで」
と言われた事がありました。
その言葉で、父親の愛情の形も、私が望んだ形では無かっただけで、
そこに沢山の父なりの愛情があった事に気付いて、号泣しました。
その時に父親への怒りも溶けていったのだと思います。
人生は、やっぱり「修行」なのかなと思いますが、辛いと思うからこそしんどいのであって、
そうきたか?!︎とゲームのステージをクリアしていってるだけなのだと思えば、全て楽しいものです。
大きな障害があってこそ、それをクリアした時にゲームが楽しく感じるのでしょう。
でも、すんなりと、ガンガン思い通りになっても結構楽しいものです\(Φ∀Φ)/
思い通りになるゲームなんて面白くない、とか思ってるので、そんな人生ゲームになるだけですよね。
自分が、面白いと楽しめる人生ゲームをしていけばいいのです。
なので、こんな楽しい人生ゲームを用意してくれた両親に感謝なのです(*´ω`*)
今があるのは、全て両親のおかげなのですから。
お父さん、お母さん、私に出会えてよかったね(*´ω`*)
私を産んでくれてありがとぉ(*´ω`*)
そうして、両親はじめ、夫やその他のたくさんの人にも、こんなに愛されているということにも気づくことができました。
ちょっと望む形ではないかもしれません。
気付かなければ分からなかったでしょう。
でも、今本当に、私って愛されてるなって(*´ω`*)
お父さん、お母さん、そしてダーリン、
ありがとぉ、本当にありがとぉ〜〜💖
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