メリークリスマースo(*^▽^*)o
写真は今日の散歩で。
先代のときは、三人のシルエットを撮ったね〜
今のゼファーはまだまだワチャワチャなので、
並んで撮れませんでした〜〜(≧∇≦)
こうして、三人で並んで歩けることに感謝。
今日はクリスマスなので、親の愛について、
私の考えを書いてみたいと思います。
先日、ひとりでカフェにいたときのことです。
ガラスを挟んで向かいの若い夫婦のご主人の方がずっと赤ちゃんをあやしているのを微笑ましく見てました。
高い高い〜ってしたり、抱きしめたりチューしたり(*´-`)
赤ちゃんを抱いた時に体が自然に揺れてしまうのは、女性だけかと思ってましたが、
男性でもあんな風に普段から育児に参加している人は、ずっと揺れてるんですね(笑
私は子供はいませんが、早くに結婚した友達の家に入り浸っていたので、首の座る前の新生児でも、ちょっと大きくなった赤ちゃんでも、特に不安なく抱いたりあやしたり出来ます。
過去世で、たくさん子供がいたんだろうなと、思っています。
なので、感覚として親がどれほど子供を大切に思い、愛しているかは知っていたつもりでした。
でも、私は父親のことが大嫌いでした。
人間として尊敬できないし、ともかく関わらずにこれからも生きていきたいと思っています。
昔はその親の血が自分に流れていることすら許せなくて、恨みまくっていました。
でも、ある時に気付かされたんです。
欲しい愛の形じゃないからといって、愛がないということではない、と。
カフェで見た赤ちゃんも、少しづつ大きくなって親にも反抗するでしょう。
親も思い通りにならないことで、不満や不安もできていくことでしょう。
でも、親が子を思い、子が親を思う気持ちの底には「愛」があります。
大切に思う愛情があります。
愛があるからこそ、わかってほしいと思う愛情だったり、
心配してしまう愛情だったりするのですよね。
愛をどう表現するかは、人それぞれです。
ストレートに言葉にできて、抱きしめることが出来て、相手の思いをしっかり受け取って返すこともできる、そんな素直な愛情表現を日本人は照れくさく感じて隠そうとする人が多いです。
親がそうなので、子供も分からずに育ち、自分なりの愛情表現をまたその子供にすることになります。
なので、ほしい愛情の形も、親の表現する愛情の形と子供が求める愛情の形が違ってしまうことも多いのですよね。
例えば「お金」を愛情の形だと私の父親は思っています。
おそらく、自分が欲しかった愛情の形なのでしょう。
お金をかけてもらえなかったことで、大切にされなかったと、愛されていなかったと感じている人もいるでしょう。
なので、自分の子供にはお金をかけてあげたいと思うのも、その人の愛の形なのです。
そして私の父の場合は、
(お金をかけて)育ててやってるんだ、とか、
(お金をかけて)面倒見てきてやったんだ、とか、
困ったときにはいつでも(お金をもらいに)こい、という表現をします。
それが愛だったんだと受け入れた時に、恨む気持ちは感謝の気持ちに変わりました。
「愛情下手すぎるわ・・」という思いと共にですけども。
そうすることで、私のことを大切に愛してくれていたんだなという事に素直に感謝できるようになりました。
私が欲しかった愛情の形は、話を聞いて認めてほしいということでした。
父はともかく人の話をまともに聞けない人で、3分もすると「わかったわかった」と席を立ちます。相手が誰であろうとそうなのでしょう。
自分の先入観と思い込みで判断を急ぐ人です。
人の話を聞いて、楽しむとかもあまり見たことがありません。
なので、子供の時から私が欲しかった愛情の形ではなかったので、別に「私」ではなくて、誰でもいいから「自分の娘」という存在が欲しかっただけじゃないかと思っていました。
そこは、今でのそうだろうな〜と思っているのですが、
にしてもその「自分の娘」が大切で愛情をもって自分なりに(お金を与えることで)接してきていたということにも気づいたんです。
それが、また私のお金に対するブロックになっていったですが、それはまた別の機会の話にします。
それが、父なりの愛の形だったんですよね。
母に対しても、今思えばすごく分かります。
でも、私がほしかった愛情の形ではありませんでした。
私がともかく、夫と結婚しようと思ったのは、話を聞いてくれる人だったからです。
結婚前のあるときのこと、私は夫の行動に不信感を持ってしまい、私はしばらく会わないでおこうと言ったことがありました。
ですが、夫はなぜなのか理由を聞いてきたんです。
私の話を聞いてくれようとしたことに、ある意味ビックリしました。
男の人はみんな父親のように感じていたのかもしれません。
そして、私の思いを伝え、夫の思ったことを聞いた時に、自分の想定からかけ離れた考え方、価値観をもっていて、それにもビックリしました。
でも、きちんと話をして、お互いの考え方を聞いたことで、不信感は尊敬に変わりました。
そんなことを考えててくれたんだ〜!と(*^_^*)
それでこの人と一緒にいたいと思ったんです。
ただお互いの利害関係が一致してとりあえずの結婚だっただけに、そこから夫の愛情の形を理解するまでには10年以上かかりました。
すっかり長文なので、のろけはこれぐらいにしますが、
自分がどんな形を愛情だと思っているか、
どんな愛情の形をほしいと思っているか、
自分で理解できていないことも多いです。
そして、理解していたとしても、それを相手に伝えていないと、相手は絶対にわかりません。
本当に、人の価値観、愛情の形なんてそれぞれ絶対に違いますから。
自分と同じ価値観、愛情の形だと思いこんでいるがために、相手からの愛情を受け取れていないことも往々にしてあります。
相手の愛情の形は、あなたのほしい愛情の形ではないかもしれません。
でも、愛情がないということではないということなのです。
そしてまた、ほしい愛情の形はきちんと伝えないとね。
ただし、伝えたとしても、その形ではもらえないということもありますが、
それも愛情がないということではありません。
笑顔で見つめ合うというわかりやすい愛情の形だけではなくて、100人いれば100通りの愛情の形が存在しますから。
今日は私の父の愛情の形にありがとぉ(*^_^*)
父のことは嫌いですが、たくさんの愛情を注いでくれたことに感謝しています。
みなさまも、たくさん降り注がれている愛情を受け取れますように
Merry Christmas♫
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