平成から令和へ 変わっていくものと変わらないもの


4月1日は、新元号「令和」で、盛り上がりましたね。

後、1ヶ月間は平成があるわけで、何年後かの新入生は、1ヶ月だけの平成生まれがいるわけです。

4月からの新元号にしてあげれば、行政の年度も分けやすかったでしょうに。

まぁともかく、
新しい時代を前に、平成の出来事のまとめを色々見聞きします。

たくさんの良いこと悪いことがありましたよね。

一番言われてるのは、戦争のない時代だったこと。

もちろん、世界では無くなっていません。
でも、日本が戦争に参加することはありませんでした。

「令和」の時代も、それは続いて欲しいことですよね。

そして、IT改革、インターネットが、一気に普及することで、世界も近くなりましたよね。

コミュニケーションの取り方が、その前の世代とは随分と変わりました。

また、心の世界について、スピリチュアルなことが、社会的に認められて行く流れになったのではと思います。

現実社会だけでは説明がつかない世界、魂と宇宙と、表と裏の世界、パラレルワールド、
そんな概念がどんどん立証されて、たんなる偶然、おとぎ話でなはいということが、一般的にも随分広まったように思います。

次の時代では、確実にパラレルワールドが存在する前提での科学や進化をしていくのではないかと思うのです。

昭和の時代から、もちろんそれらSFの世界はありました。
私も萩尾望都後援会の名前をパラレルワールドとしていました。

日本でも手塚治虫はじめ、現実社会だけでない世界の存在を知っていた人が沢山います。

コミュニケーションの方法が変わってきた流れで、どんどん言葉の壁も無くなっていくのでしょう。

感覚的につながりあえる世界が出来ていくことに、音楽や絵画などの芸術の世界が架け橋となっていくのかもしれません。

言葉がいらないですからね。

また今後、お金の概念も変わるでしょう。
現金はなくなっていくと言われてますよね。

衣食住の生活における優先順位もどんどん変わっていくのでしょう。

「令和」というのは、日本人の個人個人が目覚めていく時代の象徴となる言葉になるのではないでしょうか。

日本人がどんどん世界の舞台に上がっていく時代だとも思います。

令和生まれの子供達が、大人になる頃にはすっかり世界観もちがうのでしょうね。

でも、その前に「平成」を振り返ることは、
実際に次の時代に持っていきたいもの、
置いていくもの、の選別の期間でもあるように思います。

私にとっては、
仕事と家庭を手に入れた「平成」の時代でした。

就職が平成2年、
そして結婚が平成13年、
その前の年に夫と出会っています。

わけもわからず流されるように動いてきた前半と、
自分を見つめ直して、たくさんの人や動物に囲まれて助けられてきた後半。

それを思うと、平成の31年間は、本当に素晴らしいものでしたね。

辛いことも多かったけども、たくさんの幸せも手に入れました。

ここにきて、ようやく自分を見つけられたような気がしています。

後半は夫との出会いで私の人生は変わりました。

元々、自分軸が強かった夫、
他人軸が強かった私。

まるで価値観が違うことを、面白いと思えた当時の私も、変わりたいと思っていたのでしょう。

自分の枠の中でだけ生きてきた私が、他人を人生の中で認めて、多様な価値観の存在に気づけたのは、夫のおかげです。

まだ、ありえない価値観とか沢山あります。
世界を見たらきりがありません。

でも、これからは、自分が必要とするものと、将来の自分が必要とするであろうものを選んで受け入れていくこと、それができるような気がしています。

ありとあらゆる価値観を受け入れることは、ある意味自分の世界を作らないということでもあります。

それはそれで、面白いのかもしれません。

でも、せっかく生まれてきたのですから、
私という世界を作っていくのも面白いのでは思うのです。

私はどんな人なんだろう。
私の世界はこんなんです。

多様性の中から紡ぎ出す、たくさんの個性、
時代を駆け抜ける命達。

この時代に生まれてきて、
しかもこの日本に生まれてきて、
そろそろ、人生の分岐点は超えてるはず、
人生100年時代とまでは、まだいきませんよね。

後の時間をどう生きていきたいか、
ともかく楽しもう!という言葉が昨日は下りていました。

そういう意味では、本当にやることなすこと、面白い夫です。
次は何を考えているのでしょう。

一緒にいたいのは、それもあります。

私は、自分があまり面白く感じてないんですよね。

これから先は、自分ももっと面白いなぁと思えるようになるのかな。

今日は、夫と出会えた平成にありがとぉ(*^_^*)


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