今日の夕方には、射手座での満月ですね〜
我が家の石達もテラスに出して月光浴の浄化をしたいと思います(*^_^*)
相手に変わって欲しいと思う前に自分が変わる
さて、昨日は父の日でしたね。
私も電話で「お父さん、ありがとう」を伝えました。
以前は死を願うほどに憎かった父親自身は何も変わっていませんが、
私が変わる事で、父への感謝の気持ちも生まれたんですね。
親との関係に悩む人は多いです。
今日は親に対して、どうしても許せないという気持ちが強い人に伝えたいお話です。
親に対して、
なぜ、わかってくれないのか!
どうして私の話を聞いてくれないのか!
私のことより、自分のことが大事なんだよね!
どうして!
なぜ!
おかしい!
そうして、親に、自分の思いをぶつけて憎しむところまで発展していることもよくあります。
私の場合は父親に対してでした。
父にとっては、娘はいくつになっても、自分の持ち物であり所有物であり、守るべきものでした。
私は、物心つくぐらいから、一人の人間として見て欲しいし、認めてもらいたかったんです。
私が何が好きで、どういうことをしたいのか、
どうにか、父にそれを分かってもらいたくて、大喧嘩や手紙や数限りなく戦ってきましたが、
いまだに私が何を思っているのかには興味がありません(;´∀`)
そんな父を本当に変えたかったんです。
変わってほしかったんです。
でも、
「他人を変えることはできない」
この当たり前のことに気づくのに、私も時間がかかりましたが、
多くの人が、気づいていても気づかないふりをして頑張っています。
もう一度言います。
「他人を変えることはできません」
あなたにとって、あなたの価値観が正しいと思っているように、
誰もが自分の価値観こそが正しいと思っています。
誰かに何かを言われて変わるような価値観は、
自分でも心底それが正しいと思っていなかったということでもあります。
そういう、根底にあるすぐに変わらない価値観こそ、その人らしさでもあるんですね。
ある人と、価値観が違って一緒にいることが難しい場合は、その人から離れればいいことです。
親子のように、近いからこそ、離れられない関係だからこそ、変わってほしいと思うので、
どうしても自分の価値観こそが正しいと押し付け合いになってしまいます。
それを解決できるのは、ただひとつ
「他人を変えることはできない」と納得することでしかありません。
他人は変わらないのですから、自分を変えるしかないんです。
その相手に対しての認識を変えるということです。
そういう人なんだと受け入れるということでもあります。
そのうえで、だから間違っているとか、変わらないといけないとかは、
あなた自身の価値観を押し付けているだけで、
相手からもまるっきり同じ様に見えているということなんですね。
そう、相手もあなたのことを
「間違っている、なんとか変わって欲しい」と思っているということです。
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毒親の特徴
昨今は、「毒親」という言い方で子供の自立を著しく阻害する親の存在も知られるようになりました。
私の父もまるっきりそれに当てはまります。
なんとか自分の思うように生きて欲しい、
自分の思う幸せを掴んで欲しい、
自分の理解できる範疇から出ないで欲しい、
いつまでも自分を尊敬して頼って欲しい、
などでしょうか、そういった思いが強すぎるあまり、コントロールしようとします。
子供も物心ついたときから、そのコントロール下にいると、それが普通になり、自分で何かを考えたり選択したり、決めたりする能力が育ちません。
いつでも、親の庇護下にいようとします。
そして、いくつになっても自立することもなく、親の元からも出ることができなくなるんですね。
私の場合、母親が私に自立をどんどん促していたのは、母自身が父からのコントロールから逃れたかったからでした。
それもあり、私は早くから自立したくて戦ってきたのですが、
結婚を期に、父への怒りは憎しみに変わっていきました。
結婚することを報告しに行った席で、父は
「嫌になったらいつでも戻って来いよ」と言ったんです。
もちろん、夫のいる前です。
幸せになれよ、ではなく、不幸になってでも戻ってきて欲しいと願う父を私は心の底から恨むようになりました。
そこまで、私の幸せではなく、自分の幸せを望むのかと。
父にとっては、娘は所有物だという感覚は、早い時期から抵抗してきたことでした。
私が何を好きで、将来どうしたいとか、そんなことにはまるで興味がないわけです。
父が思う女性の幸せを手に入れられているか、だけが心配なのでした。
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父の愛情に気づいた時
さて、それほどまでに父を憎んで嫌っていた私が、
どう変わって父の日にありがとうと電話をするほどになったのでしょうか。
昨日も電話すると、一言だけという感じで
「仕事はうまいこといってるんか、あかんようになったらいつでも戻ってこいよ」と言われました。
相変わらずです(;´∀`)
仕事がうまくいって、自分より稼ぐようになったりしてほしくないんですね。
自分が守ってあげたいあまりに、そういう言い方しかできないんです。
「それだけは、いらんわ」と思わず答えてしまいましたが、
その後あわてて「ありがとう」と言っておきました。
そこまで、ともかく自分の所有物(娘)は自分の近くに置いておきたいんですね。
その思いが強いのは、それこそ父のアイデンティティです。
父の価値観の根底にあるものです。
絶対に変わりません。
でも、その理由はただひとつ「大切だから」なのだと、あるときに気づいたんです。
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歪んだ愛情表現
いえ、それにはずっと気づいていました。
でもそれが愛情からのものだからということを否定していたんですね。
あくまで自分のため、父自身が幸せになりたいがためだと決めつけていました。
でも、その奥には、自分が幸せにしてあげたいという思いがあったからなんですね。
だからこそ、心配だから、自分の近くに置いて、目に見える範囲で、コントロールしたかったわけです。
父の思う女性の幸せとは、母のように家庭に入って夫の給料で生活し、夫や子供の世話をすることでした。
なので、ずっと自分は母のことを幸せにしていると思っていたようです。
でも、母自身は、自分の思うことを言うと怒られ、自由なこともできず、義理の両親の介護もさせられ、私はずっと愚痴の聞き役でした。
いつだったか母に「お母さんの人生って幸せなときってあったの?」と聞いたことがありました。
その返事は「幸せな時はなかったわぁ」でしたね。
父の思う女性の幸せは、母にとっても、私にとっても幸せではないということだったんですね。
今では父も母のことを「言うことを聞かない頑固な女」と言っていて、こんな夫婦にだけはなりたくないなぁと反面教師にさせてもらっています(;´∀`)
なんにせよ「娘に幸せでいてほしい」と思うがこそ、絶対に変えない父の価値観であって、
私からしたら最悪な価値観の押しつけである愛情表現ではありましたが、
それが父の不器用な愛情表現であって、
「愛」は、あったのだと理解することができたんですね。
どこから、女性の幸せはそういうものだと決めつけるに至ったのか分かりませんが、
それを今から探したとて、父の価値観は変わることはありません。
本当に、お願いだからその価値観は迷惑だから、嫌なのよと思うのですが
そこには父の「愛」があるわけなんですね。
愛がなかったことにはならないわけです。
愛がないことに出来るのであれば、手放してくれたのだと思うのです。
何度か、「もう知らんぞ」と言われたことがあって、
私も「ほんまやね、今の言葉、ほんまやね、もう私の人生に口出ししないでね」と念押ししましたが、次に会うと戻っているのでした(;´∀`)
そこまでしていまだに、まだ変わらないという思いは、それだけ強く愛しているからなんですね。
何度も言いますが、私にとっては、迷惑で不愉快な価値観に基づく愛情表現です。
でも、「愛がない」のではなく「愛されている」には違いないのです。
その愛情表現は受け取れないけども、愛してくれているという事実を理解できたら、
父に対する恨みつらみも消えていきました。
「しゃーないなー」という言葉とともに。
母にも父に言われたことを伝えると「仕方ないわ」と言ってましたね(;´∀`)
毒親って、多くはそんな歪んだ愛情表現なんですね。
愛しているからこそ、大切だからこそ、自分の価値観をどこまでも強烈に押し付けてくるのです。
でも、その愛情表現自体を受け取る必要はありません。
ただ、愛がないということではないんです。
そこにも「愛」はあるということなんですね。
人の数だけ価値観はあります。
100人いれば、100通りの価値観があります。
愛情表現も同じだけあるということなんですね。
愛がないのではなく、その愛の形が望む形ではないというだけです。
あなたの親はどうでしたか?
あらためて、親の愛の形を考えてみてください。
今日は、そんな歪んだ父の愛にもありがとう(*^_^*)
#今日のありがとう vol.522
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