あなたは相手を尊重できますか?
尊重とは、尊いものとして重んじること(漢字のままやん)
価値のあるもの、尊いものとして大切にすること、ともありました。
今日取り上げてみたいのは
「相手を尊重する」ということです。
私が昔思っていたのは、
上司や力関係がある人の意見があったときに、それも参考というか、内容に取り込む、という風に考えていました。
ある方向性は決まっていたけども、その人の意見を「尊重」して方向を変える、とか、すり寄せるなど。
あくまで「尊重すべき相手」という前提が付いていました。
でも、結婚してから夫との関係を作っていく上で気づいたのは、
「相手を尊重する」とは、上だからとか、下だからとか関係なくて、
どんな相手であっても必要なことだったんだ!というある種のカルチャーショックでした。
どれだけ人を見下してきたんだ、自分・・・ということでもあります(;^ω^)
そして、自分の実家の人間関係の中にはまるで無かったからかぁと気づいたのです。
結局、相手を尊重できるかどうか、
というのは、相手と意見が違った時にこそ問われるものなのですよね。
全然受け入れられないような意見を言われたときに、
その相手の意見を尊重できるかどうか、ということなのです。
ちょっと違うぐらいの意見であれば、尊重するのも簡単です。
でも、本当に「相手を尊重できるかどうか」
器が試されるのは自分と全く違う価値観と出会ったときです。
それはないわ!と説得にかかるのか、
そういう意見もあるのか、と聞く耳を持つことができるのかどうかなのです。
父が特にそうですが、私が何か反対意見を言おうものなら、それはダメ、間違っていると受け入れることは絶対にしません。
「偉そうなことを言うようになったのう」とかけあってもくれなかったことが、
今でも一番腹立たしいと言うか、情けなく思い出されます。
そんな風なので、
「どうしたいのか?」とか聞かれることはありませんでした。
そうかぁ、父は私を尊重することをしなかったんだ、という事実に気づいたのです。
父がそんな風に、私にだけでなく他人を尊重することのできない人なので、
母は「何を言っても無駄!」と夫婦の会話のない家庭でした。
父がトンチンカンな価値観を振りかざしてきたときに、
それはないやろーと私が言うと怒られたし、
母は、無視する、父も怒り出す、という展開が常でした。
でも、夫は、そういう意味では、常に相手を尊重できる人です。
最初は冷たい人だと思っていました。
人のすることをありえないと思っても、ほっておいたり、注意してあげなかったりするので、なぜ助けてあげようとしないのか何度か抗議したこともあります。
そのたびに、あの人がしたくてやってることを横からつべこべ言わなくてもいいだろう、と言うことが、その人の価値観を尊重しているのだということに長らく気づきませんでした。
人って、ここまで価値観って違うものなんだと言うことを知ったのも、夫といろんな事についてぶつかってきたからです。
夫とは、何故そう思うのかをとことん話し合いました。
そうなんだ、という理解に到達するときもありますが、
それはないやろ、と受け入れられない時もあります。
そのときに、夫は私と意見が違うということを受け入れてくれて「どちらも間違っていない」という結論を出す人です。
なので、それに関しては、
どちらかの意見を尊重する(相手に合わせる)
もしくは、問題にせずに棚上げする(放置する)など、時と場合によって変えてきました。
これが相手の価値観を少しでも理解しようという努力です。
それが、相手の価値観を尊重するということなのだと、私も少しづつ理解していきました。
ある時、大嫌いな父親と同じことを私がしているのだと気づいたときに、ショックのあまり変わったとも言います(;^ω^)
これは、どこまで行っても他人同士の価値観が完璧に同じになることは絶対にない、ということにもつながります。
子供の時は、親の価値観が絶対に正しくて同じにしないといけない、という前提の中に生きてきたので、カルチャーショックとしか言えませんでした。
そう思ってるのね(理解はする)
でも、私はこう思う(合わせない)
これは、相手を尊重するだけではなくて、自分も尊重しているのだと理解したのは最近です。
そう思ってくれたんなら、合わせてよと、押し付けてきましたから、結婚当初の私は。。。
相手の意見を尊重して合わせることも、時には必要ですが、自分のことも同じ様に尊重してあげることも必要なのです。
なので、ケースバイケース、お互いが何を大切にしているか、話し合いが必要になってくるんです。
相手が何を大切にしているか、尊重しあえる夫婦は長続きするといいますが、
私達夫婦は、それを無意識のうちにもコミュニケーションの多さでカバーしてきたからこそもうすぐ19年になろうとしてるのだと思います。
私達夫婦はどんな占いでも最悪の相性と言われ続けているのですが、相手に感謝して、相手を尊重することで、相性はいくらでも変えることができるとも言われました。
使命は変えられないけども、運命は自分で変えられる、それと同じですね。
一方で、50年以上連れ添っているのに、もう相手の何も受け入れたくないとお互いに思っている私の両親を見ていて、あんな風になりたくないなぁと思うからこそ、仲良くいられるのかもしれません。
母は、私が物心ついた頃から父のことをボロカスに言ってましたが、父は何でもかんでも母に頼っているフシがあり、それでやってこれているのかなとも思ってました。
ですが、母のいないときに、父に「お母さんを大事にしてあげてよ」と言うと、「いや、あんな性格の曲がった女は無理や」とのたまうのです。
性格の曲がっているのはどっちやねんと突っ込みましたが聞いちゃいません。
アカンアカン、と言っているのを聞いて、終わってるなぁと悲しく思いました。
見た目に仲が悪い夫婦でも、心の何処かではお互いに大切にしているのかなという夢も砕け散った瞬間でした。
それでも、日本人って一緒に暮らしていけるんですね。
我慢強すぎると言うか、そういう時代の人たちなんですね。
そんな犬猿の仲の両親ですが、少しでも穏やかな日が続きますように。
これ以上、私の価値観を押し付けることこそ、親を尊重できてないことになりますものね。
私達は夫婦は、そんなに喧嘩はしませんが、喧嘩するときは翌朝まででも話し合います。
喧嘩することこそが、相手の価値観を知る最高のチャンスですからね。
今日は、尊重しあえる夫婦にありがとぉ(*^_^*)
これから私達夫婦も、いつまでも尊重して尊敬しあっていけますように。
写真は今日の夕陽
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