活字中毒の友人の思い出。
今は付き合いのない友達なんですが、自称「活字中毒」でした。
「常に何か、雑誌か単行本でも文字を追っていないととイライラするし、電車とかでは絶対に広告とか読みまくる」
そう言ってました。
私も中毒ではないけど、いつも何か読んでるから、近いのかな〜
短い文章で、端的に気持ちを表現できるって素晴らしいことだと思いますが、
長文でガッツリ書いてくれる方が読み応えがあるし、伝わるものも多いと思っています。
なので、最近のFacebookって、背景画像が用意されてて、何文字かだけの投稿って、あれ苦手です。
(使おうとしたら文字数が全然足りませんでした〜〜)
Twitterで交流を深めてた時も、140文字にまとめるのって超大変だった。
長く書いてるうちに話題変わるし、読ませるものではなくて、ただ単に、反応、会話するためのものと割り切れたら使えるようになったのだったか。
チャットって、そういうことですよね。
でもそれより、Facebookからも、ニュース記事とかコラムとか、よく読んでいます。
文字より、文章。
文章より、映像。
目からだけでなく、耳からも、情報を入れられる。
さらにリアルで話せるほうが、持つ雰囲気、感覚的なもの、
より相手の話したいことが分かるでしょう。
短い文章だと、受け手に委ねる部分が大きいですよね。
どう捉えるのかは、相手次第というか。
逆に、どう捉えるのか、ご自由にお任せ〜と思うと短文になるのでしょうか。
私は「知りたい」「なぜ?」「なぜそう思うのか?」など
理由まで事細かく聞くことが好きなのだと思います。
社会人になって、ちょっとビックリしたのが
「みんな人の自慢話が嫌い、うざいと思っている」ということでした。
私、学生時代とか、先輩の自慢話を聞くこととか大好きだったんです。
夫と結婚したのも、夫の趣味の話とか、色々散々聞くのが面白かったこともあります。
自慢話って、本人は鼻高々で嬉しそうに楽しそうにしゃべるじゃないですか。
そりゃまぁ、嫌いな人と長々と話はしたくないので、多少でも好意を持ってる人に限ってかもしれません。
でも、普通の友達であっても、「昔取った杵柄」とかの話は、何回同じ話を聞いても、楽しかったんです。
本当は誰でも、自慢話したいんじゃないでしょうか?
私すごいでしょっていいたいと思うんですよね〜
日本の謙遜こそ美徳という文化が、それを嫌わせるのでしょうか。
というわけで、長々と持論を述べる人大好きです。
だから、色々と分析したり長文で書いてる人も大好きです。
今日は長文投稿の人に読み応えをありがとぉ(*^_^*)
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