自分を大切にするということと多重人格


自分を大切にするということと多重人格

「多重人格」という言葉を聞くと、特別なもののように聞こえますが、程度の差こそあれ、日本人の多くはそうなのではないでしょうか。

いくつもの人格を使い分けるというものですが、自覚のあるものから、精神病とされる無意識のものまで、程度の差は大きいかと思われます。

1人の時の自分と、家族に対する自分、会社の自分、友だちといる時の自分、全然違う人、結構いますよね。

電話の応答の声が、家族からの電話と、仕事の時の電話と、あきらかにトーンも声色も違う、態度ももちろん違う、まるで別人!!!

そんな接する相手によって態度を変える人は「多重人格」の要素があります。

どんな相手であろうと、ひとりの時であろうと、変わらない自分でいられる人は、どれほどいるでしょうか。

上司に対しては、テキパキきっちり気持ちのいい人格の人でも、ある時、目下の人に対して、横柄でいじわるな態度を取る人を見たこともあります。

明らかに二重人格、私と話す時とも違ったので多重人格なのでしょう。

なぜ、相手によって態度が変わってしまうのか、

それは相手に合わそうとするから、良く思われたいから、など、自分の人格より相手の人格を優先しようとした時に、そうなってしまうのではないでしょうか。

誰に対しても、同じ態度、同じ公平さ、同じ優しさ、同じ厳しさ、同じ誠実さで接することが出来る人は、人格がひとつなのだと思います。

相手が子供だから難しい言葉はやめておこう、とか、女性に対しては優しく接しよう、とかは同じ誠実さや同じ優しさがベースにあり、
態度を変えているのではなく、対応を工夫しているだけで、人格が変わってしまっているのではありません。

誰といるときでも、どんな状況であろうとも、自分のベースとなる人格があって、自分のモノサシをちゃんと持っている、
それがちゃんと自分の人格を大切にしているということではないでしょうか。

そんなシンプルな自分でありたいと、あらためて思うのでした。

昔、「24人のビリー・ミリガン」という本を読んだ時に、私は衝撃を受けました。

嫌なこと、辛いことから逃避するために、別人格を自分が作り上げる、

それって、まさしく子供の時の私ではないかと。

ビリーの場合は、主たる人格だけが、他の人格のことを知っていて、
他の人格になった時はまるで別人になっていて犯罪までおかしてしまいます。

さすがに、私はそこまでではありませんでした(;^ω^)

自分の空想の世界を持っていて、何人もの人格を想定していて、そのうちのひとりが私なのですが、その他の空想上のキャラクターと交流を深めたり、楽しんだりしていました。

空想、妄想の世界にひたることで、現実社会のことを考えないようにしていたんだなと、子供の頃の自分を分析するようになって気づきました。

それはまさしく「親に分かって欲しい」けども、分かってもらえない、そのことから逃避するためでした。

「親に認められたい」から、本当にやりたいことではなくても、言われるとおりにやってみて褒められる、
でも自分としては全然うれしくない、そんなことが往々にしてありました。

そんな時は、別人格の私が、その私に「えらいね〜」などと声をかけていたのでした。

本当にその言葉がほしかったのは、親からですが、
私の親は自分の思うようにならないと「えらいね〜」と言うことはありませんでした。

ある時、親のいいつけをちゃんと守っていることを親戚のおばちゃんから
「あなたはすごい素直な子やね」と言われたことがありました。

私はいやいや言うことを聞いただけだったので
「素直」というのは「大人の言うとおりにする」っていう意味なんだと解釈して
それ以降「素直」という言葉が大嫌いになりました。

他人の思いに対してそのとおりにする「素直」ではなくて、
自分の思いに対して「素直」であることは、大抵の場合違ってきます。

自分自身の人格がどのようなものなのか、自分がどんな人間なのか分からず、
行き当たりばったり、目の前の人によく思われようと反応していた昔の私がいました。

自分を大切にするということの本当の意味を知らなかった私は「誰とでも寝たりしない」だけが自分を大切にすることだと本気で思っていました(;´∀`)

でも、本当に自分がどうしたいのか、自分の気持ちに「素直」でいるということの大切さ、それこそが自分を大切にするということを知ったのは、心の勉強をするようになってからです。

もし、自分も多重人格かも、と思ってしまった人は、少しでも本当の自分なら、この時はどういう態度を取るのかな、と立ち止まって考えてみると分かるのだと思います。

相手によって態度を変えるのではなく、本来の自分という人格が何を考えて、どうすることをのぞんでいるのか。

着飾ったり、肩書で隠すのではなくて、

出来る自分も、出来ない自分もOK!これが私、というシンプルな自分(人格)であることこそが、自分を大切にすることではないでしょうか。

今日はそんなことに気づかせてくれた昔の私にありがとぉ(*^_^*)

人によく思われようとばかりしていて、自分を大切にする方法が、ちょっと違ってたね〜と思うのでした。

写真はイメージです(*^_^*)


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