もしもの時の価値観の違い


大切な人が、病にふせっていて長くないという時、
誰でも側にいたいと思うでしょう。

逆に、自分が病にふせったとしたら、
大切な人に側にいてほしいと私は思います。

でも、自分のことはいいからやりたい事をしてなさい、側にいなくていいから、
という人もいます。

相手の事を本当に考えているならば、
あなたは、あなたの道を行きなさいと、
先がないのであれば突き放すほうがいいのかもしれません。

自分も最後はもう自分のことだけを考えていたいという人もいます。

でも、相手が一緒にいたいと思っているのに突き放すのは違うと思います。

そんな最後の時に、気持ちがすれ違わないように、強がりとかスネとか抜きで、
どうしたいかは、ハッキリと言葉にしてみないと分からないとつくづく思うのです。

そんな究極の選択でなくても、
普段の時から、パートナーの価値観を聞いておくことは大切なことですよね。

同じように思っていると思い込むことは危険。
価値観なんて、些細なことでも違いますから。

何を幸せに感じるかも、
何を優先するかも、
人によって、しかも時と場合によって、年齢とともにも変わります。

私は、例えば熱が出て辛い時は、
仕事に行くなとは言いませんが、
家にいるなら氷枕作って欲しいし
(誰もいなければ自分でフラフラ作ってましたね、独身時代は)
時々様子を見て手を握って状態を把握してて欲しいです。

でも、夫はそんな時、ともかくほっておいて欲しい、寝かせて欲しい人です。

これは一人暮らし歴があるか無いか、でも違うのかなぁ。

一人暮らしで寝込んだら、このまま誰にも知られずに死んでしまったりするのかな、と思ったことがあるでしょう。

だから家族が欲しいと思ったり、
ひとりの老後を不安に思ったりするのでしょう。

でも、常に誰かといてると、辛い時は1人にして欲しいと思うのだろうなと。

私は孤独が怖いんだろうなぁ。
孤独「感」が、きっと怖いのだろうなと思うんです。

でも一方で、大勢も苦手、たくさんの人と関わるのも苦手です。

何故そうなのか、まだまだ内観する要素はたくさんありますね〜

今日は、自分が育ててきた自分の価値観にありがとぉ。

写真はスタバのクリスマス限定品、かな?


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