自分と相手の境界線とは


人見知りと八方美人、ってこれ結構対局ですよね。

自分が一番 < 人見知り < 普通 < 八方美人 < 他人に振り回されるタイプ

指標が上手く思いつきませんが、
ともかく自分のことしか考えられない人と、
他人の評価ばかり気になるタイプの人を両端にした時に、
人見知りとか、八方美人とかは、その間に入るのだと思うのです。

自分が一番、自分のことしか考えていない人って、他人のことを気にすることはないので、人見知りで悩んだりしません。
他人に興味ないですからね。

でも、そこからちょっと人の目が気になるけど、自分がどう見られてるか気になって緊張するという人が、人見知りで悩んだりするのだと思うのです。

一方で、ともかく誰にでも気に入られたい八方美人の人は、相手に取り入るのがうまいです。
それは、自分はともかく、まず相手のことを知ろうとするからですね。

それが行き過ぎると、自分を後回しにしすぎて、相手の言いなりになったり、他人の評価におびえることになり、どんどん自分を見失っていきます。

これが、どちらが正しくてどちらが間違いとかではなくて、
時と場合によって、自分で意識できるかどうかだと思うのです。

例えば、ビジネスの場で、他人に興味がなければ何もすすみませんよね。
交流会に出かけていって「私は人見知りなので誰とも話ができませんでした」ではすまないでしょう。

周囲の人や、どんな人が来ているのか、興味が持てないのであれば交流会に行く意味もありません。

それが、リサーチ目的などであればなおさらのこと、
自分がどう見られるかは一旦棚に上げておいて、笑顔で「こんにちは」と声をかけていかなければ始まりません。

逆に、学校や会社、閉ざされた人間関係の中で、同じ様に誰にでも好かれようと人の顔色ばかり伺っていくのでは、結局自分を見失ってしまいます。

日本の教育では、協調性という言葉のもとで、人に合わせることを強いられますが、
一歩日本を出ると、個性を尊重しようという社会に出会うことになります。

私はこう思う、私はこれが好き、嫌い、なぜならば・・を言える自分軸を育てる教育です。

自分軸が育ってはじめて、自分が相手に何をしてあげられるか、というビジネスが始まるのですけどね。

日本人は、人の顔色を伺うことに疲れた人が、自分勝手になりがちです。

自分自身の意識を今相手に向ける時なのか、自分に向ける時なのか、バランスを取ることが必要なのだと思います。

人と関わる時には、まず、自分は何を目的にしているのか、自分で分かっていることが大前提です。

それがしっかりとしていないと、他人の要望ばかり聞いて自分の行動を決めることになりかねません。

自分の思いと、相手の思いの境界線を意識すれば良いのかもしれません。

相手の思いが強くて、自分の行動を相手の意見で決める必要があったとしても、
最終的には自分が決めるという自覚をもって行動しないと、
どんどん振り回されてしまい、自分がわからなくなっていきますよ。

相手の意見を聞く必要がある時でも、それに従うか、参考意見として聞くだけなのか、
それは自分が決めれば良いことです。

英語では「Not for me」という表現があります。

「あなたには良いかもしれないけども、私はいらない」というニュアンスです。

相手を否定するのではなくて、自分の意見を伝えるということが必要な場面もありますね。

自分がどう思っているか、それを言葉にする必要がない場合もあります。

でも、自分がどうしたいか、自分の中でははっきりと理解している上で、相手の気持ちを聞く、尊重する、というように、自分と相手の境界線をしっかりと引くことが必要ですね。

それができるようになると、人見知りだと悩む意味もないですし、八方美人をする必要もありません。

今日は、「Not for me」
自分と相手の思いの境界線にありがとぉ(*^_^*)


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