自分の人生を生きるとは


お正月は実家へ帰られてる方も多いかと思います。
否が応でも、子供の頃からの価値観の中に引きずり戻されますよね(;^ω^)

自分の人生を生きることが出来てない人は、親の人生を生きてしまっている人も多いです。
私がそうだったように…。

親の人生とは、親が思い描いた人生、親が敷いたレールの上を歩く人生という意味です。

あなたは、親の価値観、親のモノサシを持ったまま今を生きていませんか?

時代と共に、どんどん世間の価値観というものも変わっていくというのは、誰もが分かっていることかと思います。

江戸時代や明治のような封建的な時代ではないですよね。
そして、お国のために戦争をしていた時代でもありません。

時代と共に、文化や価値観も変わっていっているので、
親世代と価値観が違っていても当たり前なのに、

親の価値観を引き継いだまま、親の価値観、親のモノサシを持ったまま、自分の人生を歩んでいる人も結構いてるものです。

そうなると、自分が何かしたいと思っても、心のどこかで親のモノサシを出してきてしまうんですよね。

これってダメなことかな(親は嫌がるかな)
生まれ育った場所から離れてみたいな(親は許してくれないかな)
新しい仕事をしたいな(親は止めるかな)

自分ではそう思っていなくても、心の底で潜在意識の中で、親が許してくれるかどうかを選択の判断基準としてしまっているのです。

そうなると、本当に自分がしたいことが見えてくることはありません。

親自身が、したいことをしている場合は、子供に価値観のモノサシが受け継がれることは少ないです。

「何が楽しいか」といった親の価値観も、どんどん変化していっているからです。

そうすると、子供も自分自身が「何が楽しいか」「何が面白いか」を基準に行動するようになるからです。

しかし、親が子供を思うがばかりに、失敗しないように先手を打っているつもりが、
親のレールの上しか歩けない子供が育ってしまうのです。

そうなると、「自分の人生を生きる」ということ自体がわからないままだったりします。

私がまさにそうでした。

親は、私が小さい時に「早く歳をとってお前たちに面倒みてもらいたい」と言ったことで、私は自分の人生は親の世話のためなのだと思いこんでしまったのです。

親は、自分の人生を楽にするために、子供を作るのだ、
子供は親の面倒を見るために育ててもらうものなのだ、と思い込んでいました。

自分が何かをしたいと思っても、常に親の許しがないと出来ませんでした。

子供の時に大人になったらという作文は誰もが書きますよね。

それを私の親は、自分の気に入らないものだったので、怒ってさっさと却下したのでした。
なので、親が嫌がることは、どんなことも叶わないと思いこんでしまいました。

親のために生まれてきているのに、親が嫌がることをしてどうするんだ、
親が喜ぶ人生を歩まないといけない、

本気でそう思っていたんですよね。

そんな私が、自分の人生を生きようと思えるようになったのは、夫と出会ったからでした。

結婚前、付き合っていたときから、私は「親がこう言うから」「親に聞いてみないと」など言っていたようです。

ある時「誰の人生なん?親の人生なん?なんで、自分の人生を歩まないの?」と言われたんです。

「だって、子供って親のために生まれてきたんでしょ」という私に、

「え?何で??自分の人生に親って何か関係あるの?」と言われたんです。

「関係ないわけないやんかー!」と言ったのですが、

一方でこの人の親の面倒はみなくて良さそうだという計算も働き、この人と結婚してもいいかなと思ったのでした。

それから自分のしたいことを優先する夫と、

夫も含めて親や他人を優先して、自分のことを後回しにする私との間では、たくさんの価値観のぶつかりがありました。

でも、夫は全て「自分がどうしたいか」が最優先で、

私は「人がどう思うか」が最優先だということに気づいたのでした。

では「私はどうしたいか」そこからようやく「自分の人生とは」を考えるようになったのです。

あなたは、自分の人生をちゃんと歩んでいますか?

私は、その時初めて、自分の人生を歩んでもいいの?と思ったのです。

それからも、「でも、だって」と親の価値観が長く私が自分の人生を歩もうとすることを阻んできました。

父親は「自分の理想の娘」としての人生を歩んでほしかったのですからね。

それも、父親の愛情だと今は分かっています。

でも、それはそれ。
そうだったんだね〜でいいのです。

で、私はどんな人生を送りたいのか、
私が求める「幸せ」とは、父の想像するものとは違いました。

私が思う幸せな人生を歩んだとしても、「親」は悲しむでしょうか、止めるでしょうか。

普通、親なら子供の幸せを喜びますよね。

私の父ならちょっと止めるかもしれません(;^ω^)
それは間違ってるとか言うかもしれません。

でもね、自分が何を幸せと感じるか、どんな人生を歩みたいと思うのか、
人それぞれ価値観が違うように、親とも、価値観は違っていくわけです。

子供のときは、親の価値観の中で生きてきていたとしても、別の人生を歩んでいるのです。

「自分の人生」を歩んでいいのです。

私は、結婚して親元を離れてようやく「自分の人生を歩む」ということについて考えるようになったのです。

親のモノサシを捨てきるまでは、まだまだ10年以上かかったのですが、すっかり今では自分の人生は自分で決めると心から言える私になっています。

なので、今年のお正月も実家に帰ってません(;^ω^)

母はずっと私を応援してくれていました。
そんな母に「片付けるの大変やから、来なくていい」と言われたのもありますが、

以前の私なら「じゃあ私だけでも顔見せに行くわ」と言ったでしょうけど、
「はーい、じゃあ良いお年を」で終わらせました。

この歳になってようやく、親は親の人生、私は私の人生を歩むことができています。

長くなったので、自分の人生を生きるとは、
親のモノサシ、自分のモノサシについて、明日も続きを書いてみたいと思います。

そんな元旦が結婚記念日、18回目でした。
夫に出会えたおかげで、私も自分の人生を歩むことができています。

今日は、ずっと自分の人生を歩んできた夫にありがとぉ(*^_^*)

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