値切る人は受け取る器がないだけ


今日は「値切る人」について

植村勉さんのとあるブログ記事を読んで、ハッキリ言ってくださっていて私の心の中のモヤモヤもスッキリしました。

値切るということは、
「相手の仕事をバカにする行為」です。

ほんとに。

恥ずかしながら、私も大阪生まれの大阪育ちなので、値切ることは手柄でもあるように教えられて大人になりました。

値切ってなんぼ、どれだけ安く買うか、

自分の父親がものすごい値切る人だということを母から愚痴られることになるのですが、

値切ると、値段相応の対応をされるというか、リフォームでも値切り倒した挙句、展示品の現品処分品を取り付けられる有様。

同じものを安く買いたいというのはわかるのですが、ともかく安くしたいというのは違うような。

しかも、アフターフォローも嫌な顔をされるみたいな。

気持ちよく仕事をしてもらうためにも、
相手も儲けてもらわないと、と商売人の娘の母は言ってましたが、

公務員の家系の父親にとっては、負けさせることで、こちらの勝ちみたいな感じに、違和感を覚えるようになりました。

学生時代や社会に出て一人暮らしを始めた頃、私も色んなものを値切って買っていました。

でも、言い訳をすると、ともかく安く良いものを手に入れたかった、若気の至りだと思いたい(^◇^;)

その後、28歳でフリーで仕事をするようになって、外注として色んな企業から仕事を頂いていたわけですが、
値切られることが本当に嫌で嫌で…。

ある取引先の課長さんには
「それって自分らの言い値やろ」と言われる始末。

言い値と言えば、全てが言い値。

この仕事をするためにどれだけ経費がかかるか、そこから割り出した時間当たりの価格を短歌に反映してたわけですから、決して思いつきの言い値ではありませんが、サラリーマンの課長さんには分からなかったことでしょう。

フリーで仕事をするには、どれだけの投資も必要か、保険や税金がどれくらいかかるのか、多分見たこともなかったでしょう。

それでも、それ以上の価値を自分ではつけることができませんでした。

一方で、夫は、
まーーったく値切ることをしません。

改めて理由を聞くと、
「相手の提示している価値を自分が受け取れる器があるかどうかやろ」と。

なんかね、
自分が値切られてばかりで、価値を認めてもらえないと嘆いていたことが、自分が相手にしてきたことだと、頭を殴られた感じです。

自分がその価値を受け取りたいかどうか、

自分の期待通りでないこともあるでしょう。

そんな時は「次」がないだけです。
買わない、買えない、選択もあります。

相手との価値の交換、
それが金額となるわけですが、

その価値観が同じもしくは近い人とだけ
ビジネスをすればいいのだと思います。

自分の住みたい世界は、自分で決める。

いきなりランクアップも出来ませんが、
自分をどんどん安く見積もると
何もかもがボランティアになっていきます。

自分を自分でどう扱っているか、
「値切る」という行為から、改めて過去の自分を見つめる機会になりました。

夫に、アウトレットとか、安売り商品は別に良いの?と聞くと、
「それも相手が提示した価格だから」とのこと、
確かにそうですね。

安くしている理由があって、ディスカウントしているものを受け取るかどうか。

今日は、自分の価値にありがとぉ

写真は近所の紅葉具合、まだまだですね。


この記事へのコメントを投稿します

PAGE TOP