承認欲求はどこからくるか


さて、今日から7月。

氏神様にお詣りしました。

昨晩は朝方まで仕事をしてたので、午前中には詣れませんでしたが(≧∇≦)

でも、きれいな7月の朝日が拝めてよかった〜

写真はそんな今日の朝焼け。

今日はちょっとイラッとしたことがありましたが、

ああ、来たなーこれ・・・と。

何かひとつ決断すると、

本当にそれでいいの?というお試し来ますよね。

なので、

ああ、それでここ反応してしまうんだな〜と自分を見つめていました。

それも私なんだな〜

認めてほしいという思い、承認欲求とは

そのイラっとした気持ちの底を探っていくと、私の場合はたいていの場合「認めて欲しい」という気持ちに突き当たります。

「承認欲求」誰にでもあると思うのですが、夫にはありません。

ほとんど全く。

夫婦ってね、本当に鏡であったり、真逆であったり、価値観の多様性を知らなかった私には本当に学びです。

もちろん、夫にとっても、私といることが最大の学びになっているのだと思います。

他にも色々違うところはありますが、相入れないひとつがこれ。

私「誰でも、人に認めてもらいたいと思うでしょ?!」

夫「僕は、思わん」

承認欲求はどこから?

常々疑問でした。

夫は自分に嘘をついてるだけなんじゃないかとか、感情にフタをしてるだけなんじゃないかとか。

それが、先日拾い読みした本にヒントがありました。

結局の所、承認欲求は、子供の時の親との関係に立ち戻る。

親に褒めてもらおう、分かってもらおうと必死に子供は頑張るのだけど

それが叶わなかった子供は大人になっても、親以外の誰かに常に認めてもらいたいと望む。

一方で、親が認めてくれていた子供は、それ以上他人に自分を認めてもらおうと望まない。

手元にその本が無いので、そんな内容だったかと思います。

あ〜〜、それだわ、と。

父親への思いから

私は父親にずっと認めて欲しい、分かってほしい、と散々泣いて訴えたり、手紙を書いたり、未だにその気持は届いてません。

まぁ、そんな人だから、という結論に至っています。

手紙に至っては、もう絶縁ぐらいの気持ちで、
父の考え方にはついていけない、私はこう思う、こうする、というのを

長々と手紙に書いて、渡すのも迷って、母にも読んでもらって・・・・結局渡しました。

そしたら、父は感動して喜んでいるので

「何でそうなるの?!」と聞いたら、

最後に私が書いた、
「それでもお父さんのことは大事に思っているから」と、一行だけフォローを書いたのですが、そこに感動したそうです(;´∀`)

後は、長くて、よーわからんと言われたのだったか。

ほぼ、そこしか・・・・読んでないという・・・・・。

人の話を本当に3分と聞けない父ですが、そこまでひどいと呆れてものも言えないというか・・・。

母も呆れてましたが、「ほんまに、もう少し庸子(私)のことを信じてあげたらいいのにね」と言われてしまい、

感じていたのは私だけじゃないんだと確信までもらってしまったという出来事もありました。

結婚してからは、父が認めてくれなくても、私は私だし、私の人生なんだし〜と思えるようになりました。

それも、夫のおかげ。

その夫ですが、
結婚する時に「俺の人生と、親の人生って、何か関係ある?」って聞いてきたぐらい、親との関わりが(気持ちの上で)薄い人です。

本当に放任主義な両親だったようで、かといって息子の希望を無視するでもなく、進学の学費をだしてくれていたり、車を譲ってくれていたり、

今も、心配はしているようですが、何か言っても言うとおりになるとは鼻から思ってもないようです。

なので、夫は何でも自分で決めて生きてきたようです。

そうなると、そもそも認めてもらう必要がない、とのこと・・・・。

そこかぁ〜〜という思いです。

承認欲求は全て親への願望が、大人になって他者に向かっているだけ。

もう、親の気持ちを最優先で生きてきた私としては、あんぐりでした。

そんな夫のおかげで、結婚してから私も自分の気持ちを最優先することを覚えました。

親に対しては、そうして自分を優先することが出来ていたのですが、

他者に対しては、ようやく決意をしたと言うか、まだ、実践中(*^_^*)

こうして、時々お試しがくるんですね。

今まで、自分の気持ちを放置して、人の気持ち、特に親の気持ちばっかり気にしてがんばってきた私に「ようがんばってきたなぁ〜」と思います。

今日は、イラッとしたことから、まだまだ他人の気持ちを優先しようとする自分に気づくことが できました。

「お疲れちゃん」と、そんな私をリリースして終わり(*^_^*)

今日はそんな「私の気持ち」にありがとぉ(≧∇≦)


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