何でも悪く捉えるより、自分に都合よく捉えてもいい


物事の捉え方について。
何でも悪くしか捉えられない人へ

基本が楽観的な人、超呑気な人は、物事を悪く捉えません。

「ほんま、あんたは幸せやなぁ」と、そんな人を見て、昔の私は嫌味で言っていました。

でも、今思うのは、それでいいのだーということです。

物事は全て、自分の都合よく捉えていいのです。

この考え方をはじめて知ったときには、私は抵抗しました。

自分の都合よく解釈してたら、誰かが困ったり迷惑したりするんじゃないか、

そんな楽観的に生きてたらどこかで足元をすくわれるんじゃないか、

例えば何かを言われたときに、自分の都合よく捉えたとして、間違っていたら嫌だし。

それらは、本当にそうなのでしょうか。

実際には、真実の場合もあるし、そうではない場合もあります。

ともかく、都合よく受け取るか、非難や批判として受け取るか、どちらに受け取っても事実は変わらないのです。

であれば、とりあえず悪く捉えて自分で自分を苦しめるよりも、
楽観的に自分に都合よく捉えて、幸せな時間を選択したほうがよくありませんか?

もし、嫌味だとしても、
「わーーい!褒められた〜」ルンルン〜♫、でいいのです。

昔の自分のケースで考えてみると、
当時の私が、楽観的な、自己中の人に嫌味を言うのは、

本当は自分がそうしたいのに、できないと思いこんでいるために、
出来てしまっている人を見るとイライラしたり腹が立ったりするためです。

自分もそうすればいいだけなのにね。

ともかく、好意的に見ていない相手に対してそう思うことは確かでした。

自分が好意的に見ている人が、どんなに楽観的でも、のんきでも、腹が立つ事はありませんでした。

むしろ、好意的に「この人はいつも幸せそうで素敵だな、私もそうできたらな」と羨ましく思っていたかもしれません。

さて、ここからが問題ですが、

自分のことを好意的に見てくれている人と、そうではない人と、
今後どちらと付き合っていきたいかということです。

どう考えても、自分のことを好きでいてくれる人と付き合っていきたいですよね。

なので、どちらに対しての対応を取っていくか、ということでもあるのです。

あなたが、何でも自分の都合よく捉えて、ルンルンごきげんな毎日を送ることに対して、文句や批判を言ってくる人がいたとしましょう。

そのときにその人のために、深刻に物事を捉えたり、焦って対応したり、その人の機嫌を取る方へ行動したとしましょう。

いくらそうしたとしても、あなたへの印象が、少しプラスに傾いたとしても好意的になるまではかなり遠いのです。

その人の言うことを聞いてくれるという解釈で、子分や手下的に好意を持ってくれたとしても、何でもその人のご機嫌をとるための行動や選択をその後もしたいでしょうか。

自分のことをあまり良く思っていない人に、好意を持ってもらうための行動ほどむなしいものはありません。

なぜかというと、結局はその人の中の問題を勝手に投影されて、批判や怒りの矛先になっているだけだからです。

そんな人との付き合いを改善していくために、日々の対応を考える必要があるでしょうか。

それよりも、あなたが好きなこと、やりたいことをのんきにやっていることで、元々あなたに好意を持っている人は、その楽観的な幸せ感を受け取っていくでしょう。

そして、類友の法則で、同じ様に楽観的で自分のことを大切にしてくれる人が周りに残っていくでしょう。

あなたのことを良く思っていない人までに、わざわざ媚びへつらう必要はないんです。

そもそも、生理的に受け付けないとかであっても、あなたに問題はありません。
ただ、妬んでいる場合もあります。
あなたをコントロールしたいだけの場合も多いです。

そんな人は自然と離れていくでしょう。

これは、書いている私が、当時「自分に都合よく捉えていい」ということを受け入れるに至った葛藤です。

今でも、夫や親など、私のことを好意的に思ってくれているはずの人からの言葉を批判や文句と捉えてしまいそうになることがあります。

でも、基本的にその人は私のことを好きなはず、という前提にしたときに、どう考えたら自分に都合よく考えられるだろうかと自分の思考を探ってみます。

すると、そうか〜〜本当はきっとこうしてほしいのね〜♫

と昔は私が嫌味を言っていた相手のように、お気楽な解釈が浮かんでくるでしょう。

そして、身近な人であれば聞いてみます。

「あれは、どういう意味で言ったの?」
「◯◯ってことでいい?」(楽観的な解釈)

だいたいは、特に深い意味がなかったり、正解だったりします。

ときに嫌味、妬みであることが分かったら、
相手の中になぜそんな気持ちが浮かんだのか、その人の問題として聞いてあげたりすればいいんです。

何でも自分に都合よく捉えて、自分の機嫌を自分で取ることをしていっていいんです。

結局それをどう捉えるかは、相手の問題でしかないのですから。

相手をコントロールしようとして、自分の行動を変えるというのは、もっと違いますしね。

何でも悪いように悪い方にしか捉えられない昔の私のような人がいたら、
少しでも楽観的に幸せな選択ができるようになりますように。

明日は新月、自分の浄化もしていきたいですね。

今日は、昔っから、何でも自分に都合よく捉えて生きてきている夫にありがとぉ(*^_^*)

写真は、最近緑に囲まれている我が家の守り神様〜


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