あなたは他人を「許す」ことができますか?
私は10代、20代は怒りをエネルギーにして生きてきたようなものだったので、
許せない人がすごく多かったんですね。
自分が正しい!正義の味方になるんだ〜と思っていましたから(;´∀`)
その後、マヤ暦で、
私の人生の最大のテーマが「許すこと」
と書かれていたのを見たときは、
まだ父親のことが許せなくて辛かったときなので、
激しく拒否しました(;´∀`)
でも、それから心の勉強をして、
愛についても学んでいくうちに、
副効用的に「許す」ということもできるようになりました。
価値観が違うだけ
そもそも、「許せない」という思いは、
相手との価値観の違いからきます。
たいていの場合、
あなたが怒っているときは、相手もあなたに怒っています。
お互いに何かに対して、考え方、価値観が違っていて、
自分こそが正しいと思っているからこそ
相手に対して腹が立ちます。
「常識的に言えば」と自分の価値観を振りかざして
相手の間違いを正そうとするんですね。
でも、相手にとっても
相手の価値観が「常識」であり、
「正しい」と思っています。
お互いに、その違いを認められないので、
「許せない」という思いになってしまいます。
目的や優先順位が違うだけ
何かに対して、最終的な目的や方向が同じだとしても、
手段や方法、重要度や優先順位が違ったりします。
夫婦喧嘩なんて最たるものです。
そもそもお互いに好きで結婚しているので、
最終的には仲良くしたいだったり、幸せな生活がしたいという目的は、
そう大きくは違わないと思います。
でも、それに至るために、何を重要視するのか、
どうしたいのか、となった時に、
自分の「やり方」「価値観」を優先してほしいと思ってしまうわけですね。
赤の他人に対して、望まないようなことでも、
一番近い人だからこそ、ワガママと言われようと
そこだけは譲れないという気持ちになりがちです。
なので、そもそもどうしたいのか、そこを忘れずに話し合うことが一番重要になってきます。
相手を苦しめたいわけではないのですから。
他人の価値観を理解してみる
私が父を許せるようになったのは、父の価値観を理解しようとしたことからでした。
父に対しても、そもそもどうしたかったのか考えてみたんですね。
それまでは、父の価値観について、
「非常識」「間違っている」と決めつけてきたので、その価値観の根本的なもととなることを考えようとはしませんでした。
でも、考えてみたら簡単です。
父も私に幸せになってほしいだけなんです。
ただ、父の思う私の幸せと、実際の私が何を幸せに感じるかは、天と地ほど離れていたということなんですね。
よく例にだすのが、漬物の話です。
父は私に美味しいものを食べさせてあげたいので、いつも自分の好きな漬物を私にすすめてきます。
でも、私は漬物が嫌いなので、毎回怒って、嫌な気持ちになります。
まぁ、そこで普通だったら私が漬物を嫌いなことは覚えるでしょう。
でも、父は自分が正しいと思っているだけなので、食卓を共にするたびにすすめてきます。
どこまで私に興味がないんだ!と私は怒るのですが、
父は本当に漬物こそが美味しいと思っているので、それを分かってほしいだけなのです。
私は、私自身に興味がないということを愛がないと解釈していました。
別に娘であれば、私でなくてもいいやんね、とまで思っていました。
でも、父からすると、大切な娘が幸せになってほしいと思うがばかりに、自分が思う最大の幸せになる方法を頑張って頑張って理解してもらおうと、まぁ価値観を押し付けてきてただけなんですね。
そこに、愛情はちゃんとあるわけです。
愛がないから、怒らせて嫌な思いをさせているのではないのです。
それが理解できたとき、そんな愛情の形しかできない父を不憫に思うとともに、許せたんですよね。
ずっと教職員で、校長先生までした父なので、常に自分の価値観を押し付けることで生きてきました。
時代も時代だったので、周りに合わせることや、他人の意見を取り入れるということはしたことがなかったのでしょう。
なので、父の中に「他人を尊重する」という感情は生まれることがなかったと思います。
「自分が正しい」で、生きてきている人は、私達の親、親の親世代にはたくさんいました。
そうやって、家族を守ってきたのですからね。
なので、漬物は嫌いだけど、許せたんですね、父を。
でも父は、自分のことを受け入れない(漬物を食べない)私を許してはいないと思います。
なので、今も実家に帰って食卓を共にすると、漬物をすすめてきます(;´∀`)
他人を許すことは自分を許すこと
結局は、自分の価値観を受け入れてくれない相手に対して、怒りを覚えたときに、許せない気持ちを抱いてしまいます。
でもそれは、実は自分で自分を締め付けているだけなんですね。
自分で作ったルール、価値観で、自分こそ、その価値観を手放してはいけないと縛っているんです。
では、「許す」とはどうすればいいのでしょうか。
相手の価値観を受け入れて自分もその価値観にならないといけないということではありません。
許すとは、相手の価値観の根本的なところに、自分も共感できるところを見つけようとすることです。
ここでも、「そもそもどうなのか」なんですね。
悪意を感じるようなことであっても、その人は自分を守りたかったんだな、それは分かるけど、、、
というような「それは分かる」という部分を探るということです。
だったら、こうすればいいじゃない、と思うのは自分の価値観なんだということに気づくことです。
ああ、自分も自分の価値観を握りしめているんだなと思えるかどうかです。
自分の価値観を握りしめている限り、その価値観と違う人に出会うたびに怒りを覚え「許せない」という気持ちをもってしまい、嫌な思いや、つらい思いをしてしまうということなんですね。
それは分かる、と共感できる部分が全く見つけられなかったとしても、
そんな考え方もあるんだ、と、自分と一線を置くことでもいいです。
自分とは違うな〜と思うだけでもいいんです。
そうしてまずは、自分の価値観をゆるめてみましょう。
そうして相手を許すという先に、実はどんな自分も許せるようになるということにつながるんです。
自分を許す
最終的に、本当に許さなければいけないのは、自分なんですね。
許せない人がたくさんいるという私も、一番許せないのは自分でした。
なんでこうなんだろう、なぜできないんだろう、なんで!どうして!
自分を責めてしまうとき、だいたいは自分の価値観で自分を苦しめています。
別にいいか〜と自分を許してあげてください。
自分に、自分が一番優しくしてあげてください。
そして、なんとかなるよ、なんとかしよう、と自分を励まして応援できるのも自分なのですから。
今日は、そんなことに気づかせてくれた父にありがとぉ(*^_^*)
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